「あのね先生、オレ、ちょっとヤバいっす」
そう言って教室に入ってきたのは、夏休み3日目の午後。
Bくん。中1。
勉強は嫌い。
でも、ちゃっかり愛されキャラで、先生のことは好きらしい。
机に座るなり、カバンからくしゃっとなったワークを取り出して見せてきた。
「まだ数学の宿題、1ページしかやってないっす」
──あ、こりゃ相当だな。
カバンの中は空のペットボトルとお菓子の袋、
そして、やる気のかけらも見つからなかった。
でもその表情は、ちょっと笑ってる。
やばいことは分かってる。
でもまだどこか「誰かがなんとかしてくれる」って思ってる。
これが、「あとまわし初期型」の特徴だ。
最初はまだ、笑ってごまかせる。
夏の空気と、動かない鉛筆
クーラーの音が「ゴーッ」と静かに響く教室。
外ではセミが狂ったように鳴いている。
「じゃあ今日は、10問だけやってみようか」
そう言って出したページを開いても、彼の手は動かない。
鉛筆は握ってる。
けど、全然動かない。
じっと問題を見て、首をかしげて、ため息ついて、
水筒の麦茶をひと口飲んで──
「あ、トイレ行ってきていいですか?」
……分かる。めちゃくちゃ分かる。
やりたくないっていうか、
向き合いたくない。
そして帰ってきた彼のノートには、でっかく×がついてた。
計算、全部間違い。
しかも、2ページ分。
心、ポッキリ折れました。
「分からない」って、こんなにツラい
5日目。
教室の隅の席で、彼がぽつりとつぶやいた。
「オレ、たぶん、バカなんすよね」
「だって、全部できない」
見たら、ノートがすごかった。
答えじゃない。
計算式そのものが書けてない。
「分数+分数」っていう、数学苦手な生徒にとっては、
この世から消えて欲しい、、、「諸悪の根源」
でも、途中式のどこを間違えてるのか、
本人も分からない。
「ここで、なんで3分の1になるのかが分からない」って。
僕はすぐにホワイトボードを引っ張り出して、
ピザの絵を描いた。
「1ホールのピザを3人で分けたら?」
「1人3分の1…」
「同じピザを2人で分けたら?」
「その大きさを合わせると どうなる?」
「まずは大きさを揃えて、、、、」
彼の目が、ほんの少し開いた。
「…あれ、分かるかも」
その日のノートには、最初のページに「できた!」って自分で書いてあった。
強がりでもなんでもない、
小さな、小さな“再起動”のサイン。
10日目の奇跡:はじめて自分から質問した
「先生、あの“方程式のとこ”もう一回やっていいすか?」
声、震えてた。
たぶん彼にとって、
“自分から聞く”ってのが、ものすごい勇気だったんだと思う。
「もちろん。じゃあ今から、方程式マスター名乗れるくらい練習しよ」
この日、彼はプリント3枚ぶっ通しでやった。
汗だくで、でも笑ってた。
クーラー効いてるのに、教室の空気がアツかった。
その背中を見ながら、こっちが泣きそうだった。
やらされる勉強じゃなくて、“自分で選んだ戦い”。
それが、彼の中で始まってた。
夏明けテスト、彼は鉛筆を握る手が震えていた
「緊張してます?」って聞いたら、
「やばいっす。てか、手汗えぐいです」って笑った。
試験開始のチャイムが鳴ったとき、
彼は深呼吸して、そっと問題用紙をめくった。
1問目。
彼は、ゆっくりと鉛筆を走らせた。
去年だったら、絶対に手を止めてた問題。
テスト終了。
「全部、空欄にはしなかったっす」
その言葉が、何よりも嬉しかった。
だって彼は、あとまわしをやめたんだから。
“今やる”を、自分で選んだんだから。
あとまわしは、怖さの裏返し
子どもがあとまわしにするのは、
「やらない」んじゃなく「やれない」から。
分からないのが怖い。
間違えるのが怖い。
失敗して、バカにされるのが怖い。
だからあとまわしって、
“心を守る行動”でもある。
でも、勇気を出して始めたときは、
どうか、見逃さないであげてください。
1問でも、1ページでも、
「今日やってみた」ってことが、
人生を変えるスタートかもしれないから。
あなたにも聞きたい
あなたは、
どんな「あとまわし」をしてきましたか?
それ、今からやるって選んでもいいと思いませんか?
この話を読んで感じたこと、
共感したこと、笑えたこと、泣けたこと。
ぜひ聞かせてください。
感想、Xでも、DMでも、校門の前でも。
あなたの言葉、ちゃんと受け止めます。
次回予告:人のせいにする、という名の自己防衛
「アイツが悪い」「親が言ったから」「先生の教え方が」
人のせいにしたくなる気持ち、
その奥にある“本音”を暴きます。
責任転嫁の正体を、ことら節で暴き、解きほぐします。
それではまた、第4話で。



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