見えないフリをするな。──動き出す、その一歩がすべてを変える
「……数学、全然手つけてないんすよ」
「でも、社会は一応やったし……」
「うん、じゃあ、明日テストなのは?」
「……数学、っすね」
中2のHくんが目をそらした。
社会のプリントを握りしめながら。
ワークは真っ白。
ノートも空白のまま。
筆箱の中に、未使用のシャープペンが一つ。
時間は夜の9時。
テストは、明日。
なのに彼の指先は、ずっとプリントの角をいじってた。
「見えないフリ」は、心の叫び
苦手教科に向き合えないのは、
やる気がないからじゃない。
怖いんだ。
開いたページが全部わからなかったら?
勉強したのに、また点数が取れなかったら?
今まで通り「やっぱ無理だった」ってなったら?
自信がないから、
プライドが邪魔する。
その結果、選ぶのは
「見えないフリ」。
社会をやってるふり。
プリントを読んでるふり。
勉強してるように見せるための演技。
でもね。
それって、頑張ろうとしてる証拠なんだよ。
見えないフリをするってことは、「見えてる」ってことだ。
気づいてる。
分かってる。
ヤバいのは、本人が一番知ってる。
「動かない手」を見つめて
彼は言った。
「やらなきゃって、思ってるんすよ。マジで」
「でも、ワーク開くと…なーんか、急に眠くなるんすよ」
笑いながら言ったけど、
その目はちょっと赤かった。
目覚ましはかけてる。
机にも座ってる。
時間もある。
でも、
ペンが、持てない。
この“動かない手”ってのが、何よりも苦しい。
責められないように準備はする。
怒られないように「何か」はやっておく。
でも、
本当は自分が一番、自分を責めてる。
親が気づいてても、言えない夜
その夜、彼のお母さんが教室に迎えに来た。
「先生、あの子…ほんとはやばいの分かってるんですよ」
「でも、声かけると逆ギレされて…」
「“放っといてくれ”って」
親も、分かってるんだ。
子どもが苦しんでるの。
でも、
どうにもできない瞬間がある。
だから、親も「見えないフリ」を選ぶ。
大声出す代わりに、
玄関のスリッパのズレを直してみたりする。
それが、家族の距離感の限界。
小さな一歩が、全てを変える瞬間
「H、これ、やってみろよ。1問だけ」
ワークの2ページ目。
「関数」って書いてあるページ。
「やっべぇ……無理っすわ。これ、見たことあるけど意味わかんないやつっす」
「じゃあさ、“わからん”ってノートに書いてみ」
「なんすかそれ」
「いいから」
彼はノートに『わからん』と書いた。
「じゃ、次は『なにがわからんのか、わからん』って書け」
「それ、もう哲学じゃないっすか…」
でも、彼は笑って、ノートに書いた。
そして──
ペンが動き出した。
図を写してみた。
式を書いてみた。
答えが分からなくても、
「どうせ無理」と言わなかった。
その姿は、「闘ってる」ように見えた。
“わからない”ことから逃げなかった。
その日、彼は1ページだけやって帰った。
でも、その1ページは、
5教科やったより価値があったと思ってる。
見ないフリ、終わらせるのは「誰か」じゃない
何かを始める時、
「結果」はなくていい。
必要なのは、
「行動」だけ。
それは1問でもいい。
1行でも、1分でも。
逃げてもいい。
でも、戻ってきて、
ペンを1回だけでも持てたなら──
それが“勝ち”なんだ。
そして、
その一歩を決められるのは、自分だけ。
あなたにも聞きたい。
見えてるのに、
手が止まった経験、ありませんか?
「やばい」って思ってるのに、
気づかないフリしてた日、ありませんか?
それでもいい。
それでも、いいんだ。
でも、
今日、1問だけやってみない?
それが、きっとあなたの
「動き出した日」になる。
ここまで読んでくれてありがとう。
次回はもっと深いお話をお伝えする。
報われなかった時間に、意味を灯す物語をお届けする。
またここで会おう。



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